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ブラインドマラソンランナー 藤井 由美子さんを訪ねて

ブラインドマラソンランナー 藤井 由美子さんを訪ねて
東京2020パラリンピックの「ブラインドマラソン(視覚障がい者マラソン)」で、見事5位入賞を果たした藤井由美子選手。40代後半で初めて国際大会に出場して以来、自己ベストを次々と塗り替え、年齢や障がいに関係なくチャレンジできることを証明してこられました。今回はそんな藤井さんのマラソンにかける想いを伺います。

マラソンに挑戦したいという夢を抱いて

走る前のウォーミングアップ▲走る前のウォーミングアップ
 小さい頃は家で遊ぶより、外で走り回っていた活発な子どもでした。私は先天性の白内障で昔から視力が弱いのですが、当時はまだ今より見えていましたので。ただ球技をするのは難しく、中学校では陸上部に入りました。長距離はなかったので、主に短距離や800m競争です。そして高校から盲学校に通い、視覚障がい者用のバレーボールや水泳、卓球など、いろんなスポーツを経験。水泳では近畿大会でいい成績を残すこともあったんですよ。

 その頃から「いつかフルマラソンに挑戦してみたい!」というのが夢でした。当時は、0.3ほどの視力がありましたので、盲学校の全盲の先生の伴走をしながら、彦根にある盲学校から琵琶湖まで走って、5㎞、10㎞、20㎞と少しずつ距離を伸ばし、自分の練習にもしていました。卒業後23歳の時に丹波篠山ABCマラソンに初出場し、4時間20分ほどで完走できました。その後、結婚と子育てで8年ほどブランクがあり、またマラソンを再開したのが33歳の頃。びわこタイマーズ(視覚障がい者のランニングクラブ)が駅伝を開催するという話があり、お誘いいただいたのがきっかけです。でもその頃は「ただ楽しく走れたらいい」と思っていた市民ランナーの一人で、42.195㎞を完走できるだけで嬉しかったですね。

48歳で強化選手に選ばれ本格的なトレーニングを開始

伴走の武田浩志さんと息ぴったりでした。
▲伴走の武田浩志さんと息ぴったりでした。
 転機となったのは、ロンドンオリンピック翌年の2013年。JBMA(日本ブラインドマラソン協会)から強化選手に選ばれたことです。当時、私は48歳で、タイムは3時間半をギリギリ切れないくらい。他にふさわしい人がいるのではないかと、かなり迷いました。そうしたら伴走者さんの一人が「3時間半でマラソンを走れる視覚障がい者はそんなにいない。だから選ばれたんだよ」と。また私より9つ年上で強化選手に選ばれた西島選手が「私はリオに出場できないかもしれないけど、次の世代を育てるために必要としてくれるんだったら入る」と言われて、「ああ、自分のことだけではないのだ」と感じ、強化選手に入ることを決めました。

 そこから本格的なトレーニングを積み、タイムもどんどん向上。しかしリオパラリンピックには選考レースに落ちて出場できなかったんです。この悔しさがバネとなり、次の東京2020パラリンピックには絶対出場したいというモチベーションになりました。さらに練習を重ね、2020年12月の防府読売マラソンでは、3時間9分48秒の自己ベストを記録。ゴールした瞬間、コーチに「ウソ?!」と言ってしまうくらい、自分でも信じられないようなタイムでした。30㎞過ぎから追いかけられるレース展開だったので、タイミングや運も味方してくれたと思いますね。

伴走者さんとの深い絆 仲間の応援が大きな励みに

 この結果で東京2020パラリンピックの出場権を獲得し、5位に入賞。自分にとってはまさかの5位です。30㎞手前で伴走者さんから「前を走る選手たちのペースが落ちている」と聞き、抜かせるように頑張ろうと走っていたら、沿道から子どもたちの「お母さん!」の声が聞こえて、元気をもらいました。また特に30㎞、35㎞、40㎞の給水所には地元で一緒にやってきた伴走者さんが声をかけてくださるなど、みんなの応援が追い風になり、大舞台で走り切ることができたんです。国立競技場に入ってからの最後の500m、「これで終わってしまうのか」と惜しいような気持ちになったことは忘れられませんね。

 フルマラソンを最初に走った時は、まさかパラリンピックに出場するなんて想像もしていなかったこと。でも目標に向かってコツコツと地道に続けていれば、いつかチャンスがくる。いくつになっても、障がいがあってもチャレンジできる。私が卒業した豊郷小学校の階段の手すりにはウサギとカメのレプリカがあったのですが、このカメのような地道な努力が自己実現につながることを実感しています。

 ここまでマラソンを続けてこられたのは、自分に負けたくないという強い気持ち。そして一緒に走ってくれる伴走者さん、応援してくれる仲間がいるからです。特に伴走者さんとの信頼関係は深く、言葉では言い表せないほど。障がい者ランナーと伴走者さんを繋ぐガイドロープのテザーは、〝きずな〞と呼ばれていますが、まさに信頼の絆がなければ走ることはできません。また私より年上の西島選手が活躍されていたのも大きな励みになりました。私は現在58歳ですが、同じように若い方へ影響を与えられるような存在になれたらいいなと思っています。
2020年東京パラリンピック5位入賞の賞状二人の絆を繋ぐテザー
▲2020年東京パラリンピック5位  ▲二人の絆を繋ぐテザー
入賞の賞状
(2022年11月取材)

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